慰霊塔について
慰霊塔概要
『太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔』(以下、慰霊塔)は、太平洋戦争中の空爆その他による犠牲者で、軍人軍属以外の50万9,700余の死没者を供養し、その霊を慰めるとともに、世界の恒久平和を祈念するため、昭和31年(1956年)10月26日に建立されました。
この慰霊塔は、塔身、前室及び前垂、側柱から構成され、前垂には日本地図に113戦災都市(1都、99市、13町)の位置が、側柱には1本毎に戦災都市の被爆年月日、死没者数、罹災人口及び歴代復興担当市長名が刻んであります。
慰霊塔建立以来、毎年、竣工日であります10月26日に全国の空爆犠牲者を追悼するために『追悼平和祈念式』を執り行っており、内閣府をはじめ全国から多数の方々にご参列いただいております。
なお、経年による老朽化で汚れが相当目立つようになっておりましたので、建立50周年を迎えた平成18年(2006年)にリフレッシュ工事を行いました。
この慰霊塔は、塔身、前室及び前垂、側柱から構成され、前垂には日本地図に113戦災都市(1都、99市、13町)の位置が、側柱には1本毎に戦災都市の被爆年月日、死没者数、罹災人口及び歴代復興担当市長名が刻んであります。
慰霊塔建立以来、毎年、竣工日であります10月26日に全国の空爆犠牲者を追悼するために『追悼平和祈念式』を執り行っており、内閣府をはじめ全国から多数の方々にご参列いただいております。
なお、経年による老朽化で汚れが相当目立つようになっておりましたので、建立50周年を迎えた平成18年(2006年)にリフレッシュ工事を行いました。
慰霊塔の構造 鉄筋コンクリート外部は花崗石貼り
慰霊塔の構成 塔身、前室及び前垂、側柱
高 さ 26.75m
前 室 約196㎡
前 垂 約280㎡
日本地図が刻まれ、113戦災都市の位置に円い石を填入標示している。
側 柱 113都市の被災記録と復興担当市長名が彫られている。
本 数 138本(前:114本、後:24本)
塔 の 形 剣を地中に突き立てた形で「もう戦争はしない」ということを表現して
いる。
竣工年月日 昭和31年10月26日
慰霊塔建立の経緯
昭和27年 5月17日 全国戦災都市連盟の第10回定期総会で連盟発祥の地である姫路市に建立すること
を決定
慰霊塔建立場所を姫路市手柄山に決定
昭和27年 7月23日 設計は、懸賞による全国への公募の結果、高谷隆太郎氏(東京都)の作品に決定
昭和28年 5月 8日 建立に着工 総工費:8,000万円(全国からの浄財を財源)
昭和31年10月26日 竣工
平成18年6月~8月 リフレッシュ工事の実施
慰霊塔 リフレッシュ工事
金 額 約2,000万円
作 業 概 要 塔身、前室・前垂れ、側柱等の石目地から漏れ出した接着剤を削り取り、割れた箇
所は補修処理とするとともに、汚れを落とすために全体に薬剤処理によるクリーニ
ングを施し、前室天井部分の防水加工等を行った。
奉献台廻りの改修、通路タイルクリーニング、砂利敷き部のカラー舗装を行った。